沿革

念仏(2)

 私たちの生活の中で、たいへんなお世話をいただいた方々にご恩を返さなければ、「義理が立たぬ」という言葉を使っています。

 たいへん、素晴らしい言葉のようですが、よくよく考えて見ますと人間と人間が五分、五分で生きようとする手段のように思えてなりません。お返しをして帳けしにするということが根底にあるようです。

 私の友人が二年前に北海道旅行にいった時、大きなタラバガニを贈ってきてくれたのです。たいへんおいしくいただきましたが、その後、去年の二月に私も札幌の雪まつりに出かけた時、頂いたタラバガニを思い出しまして、早速友人の家にタラバガニを贈ったのです。皆さんも同じようなことを繰り返し生活していると思います。

 阿弥陀如来と私の関係においても、このような考え方があります。

 如来様に何かをお願いして、うまくいけばお返しをする、それがお念仏になっていませんか。もし、お願いしたことがうまくいかなければお念仏が出てこないということを体験したのではないでしょうか。そのような念仏を相対報恩の念仏といいます。

 御恩報謝の念仏はいつどのようなときでも、あふれ湧きでるものであり、絶対報恩の念仏です。

 お礼をいうのに二通りあるといいます。お正月はお年玉ですが、子どもさんはおばあちゃんからの予想金額を頭の中で描いています。その予想額以上につつまれていた時は満足感がいっぱいで、元気のいい心のこもったお礼をいいます。しかし、予想額以下の場合はどこかで調整をしなくてはなりませんから、心のこもったお礼は期待できません。

 予想以上に入っていた“ありがとう”と予想以下に入っていた“ありがとう”とは同じありがとうでも違うのです。予想以上は満足感がいっぱいの、真のお礼です。予想以下は、まだ、ほしいという心が残ったありがとうであります。

 親鸞聖人は如来の救いに満足した御恩報謝の念仏のありがとうでありました。

『聞法(1998(平成10)年9月21日発行)』(著者 :佐々木義信)より