沿革

念仏の道

 「おかげさまで」「皆さんのおかげで」「勿体ない事で」「有難い事で」何ともいえぬ響きのある言葉であります。
いずれも、自己中心の世界からあふれ出た言葉でないから、相手に感動をあたえるのかもしれません。

 スポーツの中で、一番過酷であるといわれるボクシング、あれだけ自己管理を徹底的に行い、いざリングに立ち勝者となっても、「私の努力が、相手よりマサッていました」という勝者はおりません。

 ほとんどのボクサーは「皆さんの応援のおかげです。ありがとうございました」と最後にいいます。その言葉には、私がこれだけ努力したから勝つのが当たり前という態度が表れていません。

 おかげさまという言葉は、自己の肯定から自己の否定へ、また、他者の否定から他者の肯定への素晴らしい世界があります。

 前門様の御消息の中に「念仏の道は、おかげさまと生かされ、有難うと生き抜く道であります」と示されています。

 今日を生きる私たちに念仏者の生き様を最も具体的に表現された御言葉であります。しかし、おかげさまを忘れ、有難うと頂く事を忘れた私たちには、強く反省させられる言葉であります。司馬遼太郎さんは「おかげさまでございます。勿体ない事でございます。有難い事でございますという言葉は、私達の先祖の方々の念仏生活の中から滲み出て来た美しい日本語であります」とおっしゃっています。

 最近では、言葉や行動の基盤である精神面の育成を軽視することが多くなり、物質・経済が最優先されています。

 私たち人間は、他人に迷惑をかけずに生きることは困難であります。自己中心的生き方しか出来ない私がお念仏を申す身になれば、おのずから、おかげさま、勿体ない、有難うの心が恵まれるものであり、それがみ教えに育てられているという事であります。

『聞法(1999(平成11)年7月21日発行)』(著者 :佐々木義信)より