沿革

生活信条 第四

 一、み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい 社会のために尽くします。

 如来のご本願は差別、区別なく平等にそそがれています。老いも若きも、男も女も、いかなる人の上にも必ず救わずにはおかない願い、如来のまことをさずけ、念仏を称えさせ往生させる願いであります。

 「こんな私にも、ご本願がかけられている」というこころ、また「あなたも、私も如来さまの願いがかけられてある」というこころでこの人生を生きていくならば、自分さえよければといった自己中心的な考え方から、互いに助けあい、うやまう心が生じてくるのではないでしょうか。

 最近では、ご門徒さんの高齢化がすすんでいます。私がおつとめを終わり、お茶を飲んで帰ろうとしたとき、一人のおばあちゃんが「ご院さん、見捨てんといてや」と言われたのであります。
このお話を先輩に言いますと、そういうときは、
「ご院さんは捨てるかもしれんが 阿弥陀さんは絶対に捨てん」
と答えると言われました。しかし、この答えでよいのでしょうか?

 私たち僧侶は日々お参りをしておりますが、テクニック(技術)と自己満足の繰り返しのような接し方をしているように思えてならないのであります。

 一ヶ月ごとに衰えてくる老人が現実に目の前にいても、その相談を門徒の家族からうけることなどありません。

 「共生」ともに生きるということばは、ずいぶん昔から我が教団においても叫ばれています。
その叫びが届かないのは、ご門徒に聞こえないからなのか、また、僧侶自身が純粋でないからなのか。

 しかしながら、「ご院さん見捨てんといてや」と言われて、気持ちの上では見捨ててなくても、実際はほっとかなくてはいけない可能性があります。でも、「そうじゃないで」と「私が頼んだるからな」と「安心しいや」と言えるものの形ができないものかと思うのであります。

『聞法(1999(平成11)年7月21日発行)』(著者 :佐々木義信)より