沿革

生活信条(まとめ)

 親鸞聖人は、自己の罪悪性、虚仮性に悲歎され、また、ご自身の行き先は地獄しかないとおっしゃいました。

 しかし、南無阿弥陀仏のみ教えにあわれ、「罪悪深重であると嘆くな、私にまかせよ必ず救う」という如来の呼びかけに「ハイ如来様 あなたにおまかせします」とおまかせするというものでありました。

 それが「南無阿弥陀仏を称えること」すなわち「お念仏」なのです。

 如来におまかせするということは投げやりになることではありません。

 如来が必ず救うというているなら、このままの相でいいのではないか、絶対他力ですから、聞く必要もないのではありませんか、心の底に浄土真宗のみ教えは何もしないでも阿弥陀様に救われていくのだということになっていませんか。

 このまま、絶対他力、如来にまかせるというお言葉は、信心の味わいを示しているのであります。
浄土真宗の生活信条は、念仏者として、あたりまえの生活であります。しかし、一つ一つの信条を、今の私の生活に照らし合わしますと恥ずかしいに一言であります。

一、み仏の誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ 強く明るく生き抜いているのか
一、み仏の光をあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励んでいるのか
一、み仏の教えにしたがい 正しい道を聞きわけて まことのみのりをひろめているのか
一、み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい 社会のために尽くしているのか
実にその逆の生き方をしています。

 親鸞聖人のご一生は、求道・信心・報謝・処世の四つの大きな節目があるといいました。この生活信条もよく味わっていきますと、一番目が信心のことをいい、二番目に報謝のことをいい、三、四番目が念仏者の生き方を表しています。

 まことに厳しい生活信条でありますが、浄土真宗の念仏者の基本的立場であることを忘れないように努めてまいりましょう。この信心の味わいを身につけるまで親鸞聖人はいのちがけの聴聞をしたことを忘れてなりません。

『聞法(1999(平成11)年7月21日発行)』(著者 :佐々木義信)より