沿革

念仏をきく

 宗教の「宗」という字を親鸞聖人は、「宗(むね)とする」と読んでおられますから「拠り処」という意味で使っておられます。ですから、宗教といいますのは、この私の命の拠り処となる教えという意味になります。「私は無宗教です」とおっしゃる方に会いますと、拠り処をもっておられない寂しい方なのかな、という思いがします。

 人生をよく旅に譬えますが、帰るところ、帰れるところがあるからこそ、旅と言えるのです。帰るところをもたないのは、放浪でしかないのです。旅をしているのと、放浪をしているのは、見た目にはよく似ていても、実は大きな違いがあるのです。「帰る」という言葉の本来の意味は、待って下さっている方がいるから帰れるということなのだ。誰もいない所へは1人で行くのだと、以前教えていただいたことがあります。どうして帰るところを問題にしなければいけないのかといいますと、旅の楽しさを支えているものは、実はいつでも安心して帰れる家があるということなのです。旅先で、「家は大丈夫であろうか?」「家族は健康であろうか?」など、そのことばかりに気をとられているならば、体は旅をしていても、少しも楽しむことはできません。今とここを本当に楽しむことができるのは、いつでも安心して帰れる場があるということなのです。

 私の人生、実は人生といいますと、何となく長いような錯覚をしがちでありますが、お互いに過ぎてしまった昨日に戻ることは出来ませんし、まだ来ぬ明日はあてにはならないのです。従いまして、私の人生といいますのは、今ここをおいてはどこにもあり得ないのです。その今とここを本当に生かさせてやりたい、精いっぱい命輝かせてやりたいというはたらきを南無阿弥陀仏と聞かせていただくのです。同じ阿弥陀様のはたらき、南無阿弥陀仏によって先にお浄土へかえられた方が待って下さっていますから、安心してかえることができる。従って、今とここを力いっぱい生きることができるのです。

 

『北御堂テレホン法話 2008年12月より』