沿革

念仏をきく②

 私の友人が、日本人の宗教観をよく表した言葉があると教えてくれました。それは、「主を讃え 仏に暮れて 神で明け」という言葉です。「主を讃え」とは、主とはキリスト教で言われます救い主でありますから、キリスト教の神を讃えているということです。具体的に言いますと、街中にクリスマスソングが流れ、イルミネーションが輝き、ツリーが飾られています。中にはお仏壇がありながら、クリスマスツリーが飾られていたり、12月25日にケーキを食べておられる家庭も、結構あるようです。クリスチャンでもないのにです。

 ところが、12月25日を過ぎると、はたと気が付くのです。我が家はクリスチャンではなく、仏教徒であったと。で、どうするのかと言いますと、大みそかに殊勝そうな顔をして、除夜の鐘を撞きに行くのです。「仏に暮れて」とは、この状況を言ったのですが、鐘を撞いて煩悩がなくなるなら、如来様は楽なのですがね。除夜の鐘を撞いたところで終われば、まだ可愛げもあるのですが、ひょっとすると、鐘を撞き終わって、さあ日付が替わったからと、初詣と神社へ出かける人も多いのではないでしょうか。これを言ったのが、「神で明け」という言葉です。ちゃんと五・七・五にまとめられたこの言葉、「主を讃え 仏に暮れて 神で明け」。よく心したいものです。

 本当にこの命の拠りどころとなるものをもっておりませんので、その時々に自分の都合のいいように使い分けているのです。その時々の縁次第によっては、どのようにでも変わってしまう弱い私であることを見抜き、知り抜いて下さってあるお方を、阿弥陀如来と申し上げるのです。たとえ、すべての人々より見捨てられたとしても、阿弥陀と名のるということは、決してあなたを一人ぼっちにすることはない、私が一緒にいるからその命を一緒に精いっぱい生きようとはたらいて下さっているのです。決して、この私を見捨てることのないはたらきを南無阿弥陀仏と聞き、本当の私の命の拠りどころなのであります。

『北御堂テレホン法話 2008年12月より』