沿革

大悲を味わう

 まだまだ寒さも残りますが、桃の節句を迎え、いよいよ春を体感できる季節となりました。春を一日探しても見つけることができず、帰ってきた庭先のつぼみに春を見つけたというお話がありましたが、これからいろいろな所で春を見つけることでしょう。

 我が家では、大人に交じって家にとじこもっていた子ども達が、春になると庭を走り回り、水たまりや水道から水を汲み、ママごとをし始めます。それまでは氷が張った時は別として、トイレの手洗いさえも嫌がりますが、水を汲み土と混ぜて、泥のご飯やスープ、泥団子を作り出す姿に、いよいよ今年も春がきたなあと、春の訪れを実感します。今年はもう少し先でしょうか?

 皆さんは、春と同じように阿弥陀さまの訪れを感じることがあるでしょうか?

 阿弥陀さまも春や風と同じで、車や人の訪れのように目で確認することはできません。風も目には見えないので、直接絵に描くことはできません。でも、風の吹いた絵をご覧になったことはないでしょうか? そう、目には見えなくても稲穂のさざ波や、舞い散る花びらや木の葉に風を見ることができます。阿弥陀さまも同じです。目で直接に見ることはできません。でも、阿弥陀さまにお遇いすることは簡単です。それはお念仏です。阿弥陀さまを直接見ることはできませんが、お念仏を通してお遇いすることができるのです。

 親鸞聖人は、「念仏のみぞまことにておわします」と、仰せになっています。それは、春の風に木の葉が舞うように、お念仏は私たちが称えながら、そのままが阿弥陀さまが、はたらいて下さっているからなのです。お念仏は私が称えながらも、そのまんま阿弥陀さまが私を呼び覚まし、私をお浄土へと導いて下さっているお姿でありました。

『北御堂テレホン法話 2008年3月より』