沿革

浄土真宗の生活信条を味わう①

 今日から「浄土真宗の生活信条」について味わってまいりたいと思います。私たちは、ご法座の時に「浄土真宗の生活信条」を唱和することがありますが、日常生活において、意識することは少ないように思うのです。そこで、ひとつひとつの内容を深く味わうことによって、生活の中で活かしきっていただきたいと思ったことでございます。

 まず、第1条「み仏の誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ 強く明るく生き抜きます」について味わってまいりましょう。「み仏の誓いを信じ」とは、悩み多き苦しみ多きこの私を救わずにはおかないという、阿弥陀さまのご本願が私のためでありましたと、素直に受け取ることができたということであります。信じるとは、信じようと力むことではなく、私に聴こえたまま、ということです。「尊いみ名」とは、南無阿弥陀仏の名号、名のり、お念仏ということですが、ありとあらゆる仏さまが、阿弥陀さまの救いに間違いはありませんと、口をそろえてほめ讃えられたみ名だから尊いのです。

 最近は、浄土真宗の門徒さんのお墓に「南無阿弥陀仏」と刻む方が少なくなりました。ほとんど「○○家の墓」と、刻まれています。私たちに繋がるご先祖のお心が聴こえていないから、「南無阿弥陀仏」ではなく、家の名前だけを刻むのでしょう。お寺に参る人が少なくなり、お聴聞をしない人が増えたからでしょう。僧侶である私自身の力不足を痛感させられます。さらに、お寺のご法座でもお念仏の声が聞かれません。ですから、お寺に参ったことがない人は、お念仏は「どうか助けて下さい」とか「願い事を叶えて下さい」という意味や、亡くなった誰それを「迷わず成仏させて下さい」というまじないや呪文だと思っておられるように思うのです。

 お念仏は、道具や呪文ではありません。そのことをはっきりさせるために、尊いみ名を称えるのは、み仏を誓いを信じて称えるのです。御文章の「聖人一流章」に「如来わが往生をさだめたまいし、御恩報尽の念仏と こころうべきなり」とあります。お念仏は、阿弥陀さまが私を往生成仏させるために仕上げて下さったおはたらきに、有り難うございますと、申す以外にありません。

『北御堂テレホン法話 2008年4月より』