沿革

浄土真宗の生活信条を味わう②

 「み仏の誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ 強く明るく生き抜きます」について、「強く明るく生き抜きます」とは、どういうことでしょうか? 強いということは金剛心、ダイヤモンドのような固い信心、何ものにも壊されない信心のことです。「信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり」というご和讃があります。また、『歎異抄』に「念仏者は無碍の一道なり」とあります。お念仏を人生の拠り処に生きる人は、何ものにも障げられない道を歩むことができます。親鸞聖人は『一念多念証文』に「まもる」という言葉を解釈されて、「まもるといふは、異学・異見のともがらにやぶられず、別解・別行のものにさへられず、天魔波旬にをかされず、悪鬼・悪神なやますことなしとなり」とあります。「まもる」とは、仏教以外の学問や見方に破られることなく、お念仏をしながら自力の心に障げられず、仏道を阻害しようとする悪魔や悪い神々に障げられないということです。具体的には、浄土真宗の教章の宗風に「現世祈祷やまじないを行わず、占いなどの迷信にたよらない」ということをよくわきまえておられる方が強く明るい生き方です。

 「家は門徒です」「浄土真宗です」とは言いながら、神社や余宗の寺々に願掛けや厄払いをしたり、占いに一喜一憂し、人に何か言われると、くよくよ悩み、日の良し悪しや方角が気になる生き方は、強く明るい生き方とは言えません。

 もうテレビ番組には出られないそうですが、ある女性占い師の番組に振り回されたご門徒さんも、ずいぶんいました。親鸞聖人は、「かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ 天神・地祗をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」と、ご和讃に著されました。お坊さんも俗人も日や時を選び、天の神・地の神を崇め、占いやまじないを務めておられるのが、何と悲しいことよと、おっしゃったのです。

 強く明るく生き抜くとは、この苦しみ多い人生において、お浄土へ一歩一歩あゆむことです。浄土真宗は死んだ後の教えではなく、今ここに生きる私自身の教えなのです。私の人生が、阿弥陀さまの願いに生かされて生きる人生を歩むことが、強く明るく生き抜く道でございます。

『北御堂テレホン法話 2008年4月より』