沿革

浄土真宗の生活信条を味わう③

 「み仏の光りをあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます」について、味わってまいりましょう。

 ある仏壇屋さんが「近ごろ、金仏壇があまり売れません」と仰っていました。黒い仏壇や現代仏壇、タンスの上に置く小さなお仏壇がよく売れると言うのです。また、門徒さんの中には「亡くなった人をまつるので派手な金仏壇はおかしい」と思い込んでおられる方もいるようです。お仏壇は亡くなった人をまつるものではありません。お仏壇は私の命の拠り所として、阿弥陀さまをご安置するものであります。亡くなった人の命日や年忌をご縁として「阿弥陀さまが私を救わずにはおかぬと仰っている教えを聴かせていただく場所」がお仏壇であります。

 お仏壇はお浄土のありようを形で表したものです。阿弥陀さまの慈光(みひかり)が全てを照らす様子がお仏壇なのです。阿弥陀さまの御影像の頭の後ろから光が全体に拡がっています。お仏壇のお飾り全てに光が届くから、金仏壇が望ましいのです。しかし、現実は悲しいことに、阿弥陀さまではなく過去帳に手を合わせ、中には位牌をまつるご門徒もおられます。私自身の怠慢を知らされることであります。

 ところで、朝夕にお正信偈を家族揃ってお勤めするご家庭がどのくらいあるでしょう。お正信偈には繰り返し繰り返し、阿弥陀さまのお徳を光でたとえておられます。
「普放無量無辺光 無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光 不断難思無称光 超日月光照塵刹 一切群生蒙光照」
「限りない光 果てしない光 障りない光 比べようもない光 炎の王様のような光 清らかな光 喜びの光 悟りに優れた光 途絶えることない光 思いの及ばない光 褒め称え尽せない光 月や太陽を超えた光」

 阿弥陀さまはこれらの十二の優れた働きの光明を放って、いつでもどこでも誰にでも、すなわち、今ここにいる私を照らしてくださっているのです。また、六首の御和讃もすべて阿弥陀さまのお徳を光でたとえておられます。朝夕のお勤めに正信偈和讃をすすめてくださったのは蓮如上人であります。以来、五百数十年、連綿と受け継がれてきた浄土真宗の門徒のたしなみが現代人の忙しさや価値観によって崩れ去ろうとしています。もう一度「み仏の光りをあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます」をかみしめながら、僧侶も門信徒も家族や友人にこの大切なみ教えを伝える努力を惜しんではならないことであります。

『北御堂テレホン法話 2008年4月より』