沿革

浄土真宗のご利益③

 以前に、神戸のあるお寺の法座に寄せていただいた時のことです。法話を終えて控え室に戻りますと、お世話役である総代さんが部屋に来られ、お礼の挨拶をされた後、私にこんな話を聞かせてくださいました。

 『今日のご法話を聞きながら私は、今は亡き妻のことを思い出しておりました。妻とは52年間連れ添いましたが、今年はその妻の三回忌にあたります。妻が亡くなる前の3年間は、認知症となって苦しみましたが、私が最後まで介護をいたしました。まさに老老介護でして、まさか自分が認知症になった妻の面倒をみることになるとは夢にも思っていませんでした。妻は私の親の面倒をよく見てくれましたので、私もまた、最後まで世話をさせてもらうことになりました。

 介護をしておりますと、ふとこちらの言うことがわかっているのかと感じる時があり、ある時、妻が何気なくポツリと独り言のように言った言葉が今も忘れられません。妻は、「私が生きとったらお父さん、幸せになられへんね」と言ったのです。とっさに、「なにを言うてんねん。今が充分幸せなんやから、心配ないから、安心しなさい」と申しましたが、その後、どう寄り添ってやればよかったのか、いまもその言葉が忘れられんのです』と言われ、しばし絶句され涙を流されました。そして『振り返って妻を充分に幸せにしてやれたのかどうか心もとないことですが、阿弥陀さんの世界でまた妻と逢える、お浄土で逢えるという教え、私たち二人にお念仏があって本当に良かったです』と申されたのでありました。

 経典には、“人、世間愛欲の中にありて、独り生じ独り死し、独り去り独り来たる”と説かれています。まことに人生は孤独であり、誰に代わってもらうことも、代わってあげることもできない独りきりの人生であると示されています。

 しかし、また一方で、人間は一人では決して生きていくことはできないのであります。阿弥陀さまはそのような孤独の人生をみそなわし、決して一人ぼっちにはさせないと働いてくださっている仏さまです。避けることのできない別離の悲しみにあっても、そのひとりひとりの孤独の人生に呼びかけ、抱きしめてくださっているのです。私たちはそのお呼びかけをお聞かせいただくところに、老いや病や死という不安も安心に変えられ、苦悩も喜びへと転ぜられていく“転悪成善の益”が、自ずと恵まれることを親鸞さまはお示しくださっています。私はその総代さんのお話を聞いて、ご夫婦の52年間の歳月の重さと、特に辛かった最後の3年間の生活に思いをいたしながら、常に呼び続け、支え続けてくださっている阿弥陀さまのお働きを感じ、お念仏を申さずにはおれませんでした。必ず一つの処にて会う“倶会一処”のお浄土が用意されてあるという安心をいただき、私もまた支えあって生きる幸せを求めていきたいと思います。

『北御堂テレホン法話 2008年1月より』