沿革

本願力にあいぬれば①

 ただ念仏して

 親鸞におきては、ただ念仏して弥陀に助けまいらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。

 昨年の朝日新聞の『折々のうた』に
  「繋がれて翻弄さるるはまっぴらと思ひつつ待つ君のメールを」
  「駅階段下りきて左右に分かれたりきみはうからへわれはひとりへ」
 “うから”と言うのは家庭ですね。彼は家庭へ帰る。私は独りのアパートに帰る。そんな感じです。いまの二句は道ならぬ恋のうた。作者は別々の教養ある女性で、朝日新聞『折々のうた』に昨年掲載されました。不倫と言うのでしょうか、不条理を客観的にみているように感じます。こうあらねばならないと理性は判断するのに、どうにもならないもう一人の自分を持て余しているような感じですね。

 冒頭の言葉はもちろん『歎異抄』。『歎異抄』は、往生極楽の道を昔御開山から聞いて信じてはいたのに、他の人から違うことを聞かされて、迷いつつ京都まで十余ヶ国の境を越えて問いただしに来た人に対する聖人の答え。事の次第、内容は違いますけど迷いの中で自分を見失って困りきっているという場面は一緒ですね。

 「ただ念仏して弥陀に助けまいらすべし」と言い切られた聖人の言葉の重みを感じます。たぶん唯円房もその中に居たのでしょう。その方々は信心を取り戻して関東へ帰っていかれました。二人の女性の中の一人は、故郷に帰りほろ苦い昔を詠まれたのだと感じます。さてもう一人はいまも悩んでおられるのでしょうか。「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀に助けまいらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり」念仏できる身ということは、本願力が働いている証拠。必ず救うの御声が届いた証拠なのでしょう。

『北御堂テレホン法話 2007年3月より』