沿革

法語を味わう⑤

幸せを得たから
 感謝するのでなく
感謝するから
 幸せになるのです

 仏(ほとけ)さまのお救(すく)いは、救(すく)ってやるぞとの力(ちから)の入(はい)ったものではありません。ましてや救(すく)ってやらなければならないとの義務感(ぎむかん)でもありません。もったいないことですが、救(すく)うのが仏(ほとけ)さまのお仕事(しごと)・本質(ほんしつ)なのです。ですから、救(すく)って下(くだ)さいと願(ねが)うことも、救(すく)われたいと善(よ)い行(おこな)いをし続(つづ)けなければということもありません。ただ「救(すく)うぞ」の阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)のお心(こころ)に、「お陰(かげ)さま」とお念仏(ねんぶつ)で応(こた)えさせていただくのみです。

 幸(しあわ)せになることも、幸(しあわ)せにしてくださいと神仏(しんぶつ)にお願(ねが)いすることで幸(しあわ)せになるのではなく「お陰(かげ)さま」と身近(みぢか)なご縁(えん)に感謝(かんしゃ)する生(い)き方(かた)にこそ、共(とも)に幸(しあわ)せになる因(たね)があるといただくことができます。

(本願寺派布教使(ほんがんじはふきょうし) 守 快信(もり かいしん)