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毎月の法要・法座・行事
晨朝勤行
〉 晨朝勤行一覧 PDF(jinjyo_2502)※常例布教、土曜講座、日曜講演の会場が総会所から二尊堂に変更となりましたので、おしらせいたします。
2025年2月の法要・法座・行事
- 2月1日(土)
- 朝の仏教講座(晨朝に引き続き) 7:00 ~
- 龍谷大学 講師 壬生 泰紀(みぶ やすのり)
釈迦信仰vs. 阿弥陀信仰
インドでは大乗仏教が興起した時代、歴史上の人物であるゴータマ・シッダッタ(釈迦)とは私たちを導くための仮の姿であり、実は永遠の昔に仏になっていたと解釈された釈迦如来への信仰が盛んになりました。一方、極楽浄土において、いまも教えを説き続ける阿弥陀如来のもとへの往生を願う信仰も現れました。本講座では、インド大乗仏教において、以上の釈迦信仰と阿弥陀信仰との間で起こったせめぎ合いの模様をご紹介したいと思います。
- 土曜講座(聞法の集い)併催 13:30 ~
- 大阪教区布教団員
大阪教区布教団 聞法の集い②
<布教実演> 石川 昭範(いしかわ あきのり) ・ 佐倉 大道(さくら だいどう)
<まとめの法話> 味府 浩子(あじふ ひろこ)(大阪教区布教団副団長)
- 2月2日(日)
- 日曜講演 10:30 ~
- 【大阪教区】新發田 恵司(しばた けいじ)
いつもお慈悲のど真ん中
浄土真宗は阿弥陀如来のお慈悲を聴いていく宗教です。私も慈悲を起こすときがありますが、どう違うのでしょうか。親鸞聖人が「大慈大悲」と讃嘆されたお心を味わい、不寛容な世の中になりつつある現代を生きる私たちが、常にみ仏のお慈悲に包まれていることを味わいたいと思います。
- 2月3日(月)
- 2月4日(火)
- 2月5日(水)
- 2月6日(木)
- 2月7日(金)
- 2月8日(土)
- 土曜講座 13:30 ~
- 【大阪教区】佐竹 大智(さたけ だいち)
私に届けられた真実の言葉
自分は正しい。これが私たちの本音かもしれません。しかし、果たしてそうでしょうか。仏さまの言葉に耳を傾けさせていただいた時、そういう思いこみが薄まっていきます。ご一緒に仏さまの言葉を聞かせていただきましょう。
- 2月9日(日)
- 日曜講演 10:30 ~
- 【大阪教区】安徳 剛典(あんとく ごうてん)
あなたがいてわたしはいる
阿弥陀さまがおはたらきだからこそ、わたしの口からお念仏がでます。お念仏を称えるのはわたしですが、わたしの口からでる南無阿弥陀仏は阿弥陀さまです。阿弥陀さまが南無阿弥陀仏とわたしにはたらいてくださらなければ、わたしの口からお念仏は出ることはありません。そのことを大切にお聞かせいただくところに開かれる世界があります。
- 2月10日(月)
- 2月11日(火)
- 2月12日(水)
- 2月13日(木)
- 津村仏婦役員会 10:00 ~
- 津村仏婦例会 13:30 ~
- 2月14日(金)
- 常例布教 (至17日)
- 【福岡県】松月 博宣(まつづき はくせん)
聖人一流の教え
私たちの日常生活は成果主義で生きています。従い「頑張れば何とかなる。何とかならないのは頑張ってないからだ」という呪縛の中に暮らすなかで生きづらさを感じてしまいます。この成果主義的思考を自力と言っておきます。
昨今「浄土真宗の教えは現代人には分からない」という言葉を耳にいたします。その理由の一つには、成果主義の考え方を軸に阿弥陀さまのお救いの話(他力の救い)を聞くと分からないということがあるようです。
つまり他力の話を自力で聞くところに、お聴聞するときの落とし穴があるように思います。他力の話を他力のままに聞くほどに阿弥陀さまは私をお育てくださいます。領解文の安心段に「もろもろの雑行雑修自力の心をふり棄てて」とありますように、自分の計らいが不要なものであったと気付かされるほどに、阿弥陀さまのお計らいでお救いくださる一筋の大きな流れとなって私にお届けくださった聖人のみ教えを共に聴き喜びたいものです。常例布教スケジュール
14日 ①13:30~
15日 ➀7:00~ ➁10:30~ ➂13:30~
16日 ①7:00~ ➁10:00~ ➂13:30~
17日 ①7:00~ ➁10:30~
- 2月15日(土)
- 宗祖月忌逮夜法要 13:30 ~
- 2月16日(日)
- 宗祖月忌日中法要 10:00 ~
- 2月17日(月)
- 2月18日(火)
- 2月19日(水)
- 2月20日(木)
- 津村仏壮報恩講 17:00 ~
- 2月21日(金)
- 廣輪会役員会・発送 10:00 ~
- 2月22日(土)
- 藤美会(きたみどう親子さろん) 10:30 ~
- 土曜講座 13:30 ~
- 【大阪教区】森田 瑞穂(もりた みずほ)
死ぬこと以外はかすり傷
の言葉は、人生における挑戦を後押しする自己啓発の言葉として世間で流行しました。しかしこの言葉の裏を返せば「人生で唯一の問題は死である」とも言えるでしょう。と本願寺新報の記事になっていました。若い時や元気な時には、死の問題の解決こそが仏教であるという考え方には違和感がありました。しかし、喜寿もすぎ、大病を煩ってみると、生死いずべき道の解決という言葉の響きが実感できるようになってきました。そのような思いを聞いていただけたらと思っております。
- 2月23日(日)
- 北御堂キッズサンガ 10:00 ~
- 日曜講演 10:30 ~
- 【大阪教区】小野 真龍(おの しんりゅう)
極楽浄土の音楽としての雅楽
阿弥陀如来の仏国土である極楽浄土には、菩薩や天人が奏でる微妙なる音楽が響いています。この浄土の音楽はすべて仏の説法であり、聞くことによって成道できる「法音」であるとされています。平安時代に浄土教が隆盛した際、人々は「雅楽」を浄土の音楽であると考えました。この思想が、浄土真宗の法要で雅楽が奏でられることの端緒となりました。このような極楽浄土と雅楽の関係について分かりやすくお話したいと思います。
- 2月24日(月)
- 2月25日(火)
- 2月26日(水)
- 2月27日(木)
- 北御堂相愛コンサート 12:25 ~
- 2月28日(金)