永代経
10月になりますと多くのお寺で永代経の法要が勤められます。
永代経という言葉はよく耳にしますが、どうやら世間で言われる永代経は、浄土真宗の永代経とは意味が違うようです。世間で言われる永代経には永代供養という意味があるようです。つまり、先祖代々を永代に渡って供養していこう、また、供養してもらおうということから、そのためにお寺でお経をあげてもらうのが永代経だと言われています。
供養というのは、供え養うということです。ということは、何かを供えて、誰かを養うということになります。何かというのは、お経になるのでしょう。そして、誰かというと、先祖ということになるのでしょう。そして、誰がそれをするのかというと、生きている子孫ということになります。
「そのとおりだ。これで道理が合うじゃないか。」
とおっしゃる方がおられたら、ちょっと待ってください。果たして、それでいいのでしょうか。
お経というのは、お釈迦さまがお説き下さったものです。説かれたということは当然聞き手があったということです。だれも聞いていないのに話しているのは説くとは言いません。
それでは、聞き手はだれかというと、お釈迦さまのお弟子方です。つまり、生きている人に向かって説かれているのです。そうすると、その聞き手に、今生きている私も入ります。逆にいうと、お釈迦さまは、死んだ人には一度もみ教えを説かれていないのです。生きている私に向かって説いて下さったのです。どう説いて下さったのかといいますと、
「どんなことがあっても、あなたを見捨てることなく、必ず救う、阿弥陀如来という仏さまがおられるのですよ。そして、あなたに向かって、南無阿弥陀仏と喚びどおしに喚んで下さっているのですよ。」
そうなると、お経をお供えして、先祖を養うと思っていたのが、実は、私がそのお経により、養われ、育てられているのです。そして、その御縁を作って下さったのが、御先祖であり、今私がこの御縁に出遇えたのと同様に、子孫も出遇えるように、お念仏のおみのりが永代に渡って、伝わるようにと勤められるのが、浄土真宗の浄土真宗の永代経の法要です。
『聞法(1991(平成3)年7月13日発行)』(著者 : 義本 弘導)より