法語を味わう(11)
死にたくはない
未練はある
でも不安はない
行き先がある
家(いえ)の者(もの)に行(ゆ)く先(さき)を告(つ)げて来(き)たか。黙(だま)って出(で)たなら家出(いえで)となり、分(わ)からぬまま出(で)るのを徘徊(はいかい)という。船(ふね)は大海原(おおうなばら)に漕(こ)ぎ出(だ)すとき、かならずかえる港(みなと)をもって出航(しゅっこう)する。かえる港(みなと)をもたない船路(ふなじ)は遭難(そうなん)となり、いずれ漂流(ひょうりゅう)となる。
人生(じんせい)という家(いえ)を出(で)るとき、私(わたし)には行(ゆ)く先(さき)がある。それはアミダさまのお浄土(じょうど)である。アミダさまは大(おお)きな願(ねが)いのふねとなり、私(わたし)をこの娑婆(しゃば)世界(せかい)から彼(か)の岸(きし)、お浄土(じょうど)へとわたしてくださる。
迷(まよ)いの海(うみ)に沈(しず)む私(わたし)を抱(だ)きかかえ、ともにお浄土(じょうど)へ向(む)かって仏(ほとけ)となる人生(じんせい)を歩(あゆ)もうとよんでくださる声(こえ)がナモアミダブツである。お念仏(ねんぶつ)に出(で)遇(あ)った人生(じんせい)は、一日(いちにち)一日(いちにち)がお浄土(じょうど)へと進(すす)む、確(たし)かな一歩(いっぽ)となる。
(本願寺派布教使 松月英淳(まつづき えいじゅん))