法語を味わう(17)
人生を
常にスタートとみるのは
人間の知恵
死をも
スタートとみるのは
如来の智慧 (大在 紀)
学校(がっこう)の卒業(そつぎょう)はゴールではなく社会(しゃかい)生活(せいかつ)のスタートです。結婚(けっこん)もゴールではなく夫婦(ふうふ)生活(せいかつ)のスタートです。退職(たいしょく)も第二(だいに)の人生(じんせい)のスタートです。病気(びょうき)になるのも闘病(とうびょう)生活(せいかつ)のスタートです。
人間(にんげん)は一生(いっしょう)の間(かん)、ゴールではなく「スタート」を繰(く)り返(かえ)します。
ところが、人間(にんげん)の浅(あさ)はかな知恵(ちえ)では「死(し)んだら終(お)わり」になってしまいます。阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)の智慧(ちえ)は死(し)をも「往生(おうじょう)」というスタートに変(か)えて、私(わたし)の心(こころ)を前向(まえむ)きに変(か)えてくださいます。「往生(おうじょう)」とは、成仏(じょうぶつ)へのスタートであり、成仏(じょうぶつ)は私(わたし)の、生(い)きとし生(い)けるもの、すべてを救(すく)う仏(ほとけ)としてのスタートなのです。