法語を味わう(20)
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)、
これすなわち
われらが往生(おうじょう)の
定(さだ)まりたる
証拠(しょうこ)なり(『御文章(ごぶんしょう)』)
あなたを仏(ほとけ)に出来(でき)ないなら、私(わたし)は仏(ほとけ)と名告(なの)らない。そう誓(ちか)われた法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)が今(いま)、阿弥陀仏(あみだぶつ)となって、私(わたし)を仏(ほとけ)さまにしてくださる仏(ほとけ)がいることを私(わたし)に告(つ)げてくださっています。南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)は、私(わたし)が浄土(じょうど)に生(う)まれ仏(ほとけ)になることが決定(けってい)している証拠(しょうこ)です。
浄土(じょうど)に生(う)まれることは臨終(りんじゅう)の時(とき)、仏(ほとけ)さまの悟(さと)りを私(わたし)が聞(き)かせて頂(いただ)くということです。あなたは仏(ほとけ)さまになる日々(ひび)を生(い)きています。そのことを私(わたし)に告(つ)げてくださるのが南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)のお名号(みょうごう)です。
(本願寺派布教使 阿部 信幾(あべ しんき))