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法語を味わう(50)

2022年3月

帰る所があるので
 待っていてくださるので
  安心して
   遊んでいられる

淺田正作さん『骨道を行く』

あるお寺の掲示版に「帰る我が家あっての旅である。帰(い)く浄土(ところ)に支えられて人生(たび)が成り立つ」という言葉が紹介されていました。
 私たちの人生は「旅」に喩えられることがあります。「旅」は「安心して帰る場所」があるからこそ楽しいものになります。その逆に「安心して帰る場所」「心の拠り処」がなければ行き先の分からない不安に満ちた「放浪」でしかありません。人生は山あり谷あり。平坦な道もあれば上り坂・下り坂、そして思いがけない事が起きる「まさか」という坂もあります。
 諸行無常の世界に生きる私たち。誰ひとり「死」から逃れることはできません。 そうした私たちに親鸞聖人は「往生浄土」という道をお示しくださいました。
 今生の縁が尽きた後は阿弥陀仏のお浄土に往き生まれ、先立たれ懐かしい方々と仏として再び出遇い、私たちが仏とならせていただけるのです。「死んだらおしまい」という言葉を時々耳にしますが、お念仏のみ教えをいただく私たちの人生は決してその様な虚しいものではありません。自分の「いのち」の来し方行く末を見つめなおし、「死んだら終わり」ではない世界があることを本当の安心、本当の慶びとして日々を前向きに、力強く歩ませていただきたいものです。

 

 

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