法語を味わう
2022年12月
聖道(しょうどう)の慈悲
浄土(じょうど)の慈悲 (『歎異抄』)
私たちは毎日努力して一生懸命生きています。なのに、なかなかうまく生きられません。一生懸命生きる私は「聖道の慈悲」を生きているのです。
「聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがた」いのです。(『歎異抄』)
「浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益する」(『歎異抄』)をいいます。
「浄土の慈悲」に生きたい私ですが、凡夫である私には不可能です。私はやっぱり「聖道の慈悲」に生きるしかありません。でも浄土の慈悲に導かれて歩むことで往生浄土をいただいていくのです。悲しいけれど、楽しい人生がここに拓けるのです。
(本願寺派布教使 殿平善彦)