法語を味わう
2023年1月
門 松 は
冥土の旅の一里塚
めでたくもあり
めでたくもなし (一休宗純)
新たな年をお迎えし、親しい方々から受け取る年賀状には「おめでとう」という言葉がよく使われます。これは本来「めで(感心する・褒め讃える)いたし(度合いをはるかに超えている)」という意味で、そこから「大変よろこばしい」時に使われるようになったそうです。本願寺第八代 蓮如上人と交流があったといわれる一休宗純(一休さん)には、こんな逸話が残されています。あるお正月、初孫が生まれたばかりの商人に「おめでたい言葉を書いてもらえませんか」と頼まれます。すると一休さんは「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」という言葉を書かれました。これに驚いた商人に「この順番通りでなければどうでしょうか。年をとった人から順番通り死んでゆくということは当たり前のようで難しい。だから、おめでたい言葉なんですよ」と言われたそうです。蓮如上人の 『白骨の御文章』 には、「朝には紅顔ありて 夕には白骨となれる身なり」「人間のはかなきことは 老少不定のさかいなれば」とお示しされています。どれだけ若く健康な人でも「無常の縁」があればいつ終わるかわからない、たった一度きりの「いのち」、そうした無常の「いのち」を歩んでいるのが「私たちの人生」とのご教示です。いつどこで「無常の風」が吹くか分からない人生の中で「往生浄土」をこころにかけ、阿弥陀さまのご本願をよろこび、お念仏申させていただく日暮らしを歩ませていただくことが大切です。今日もいただくことができた「いのち」、新たな一年、新たな一日をお迎えできたことが「当たり前」ではなかったというありがたさ、尊さをに気づかせていただき「めでたい」一年をご一緒に歩ませていただきましょう。